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2011年9月22日木曜日

自閉症教育について思うこと

自閉症教育のキーワードは
・場所の一対一対応などの「物理的構造化」
・活動の流れなどの「スケジュールの構造化」
・課題の数をはじめから提示しておくなどの「視覚的構造化」
と言われている


日本で働いていた頃から
自分の感覚だけでは語れない
わからないことだらけの世界だったから
自分の判断にもいつも自信がなかったけど
自閉症教育に関して見聞きすること全てをうのみにすることが怖いという感覚は
確かに私の中にあった
個人と、個人が生活する環境を背景に
指導内容や方法を慎重に選択していく必要があると日々感じていた

それでも試行錯誤しながらやってきたことが
子どもや家族の笑顔につながった時には
自分のこと以上に嬉しかったし
自分の感覚を磨くことや知識を広げることの大切さを
その都度感じてきた


ここへ来るにあたって興味があったことは
超ルーズな南米で自閉症の方たちがどんな表情で生活しているのか
ということ

実際にかかわっている子は配属先の生徒だけで
たくさんの自閉症児者の方々とは出会っていないけど
私の知る限りでは、皆思いのほか穏やかな表情で過ごしている

それはなぜか

想像するにエクアドルの国民性が
日本のように厳格に秩序を求めないからかもしれない
社会が自由でいるのだから君たちも自由でいい
そういう空気がエクアドルにはあるのかもしれない

とはいっても
「突然ですが、これから君たちができるようになるまで行進の練習をしなさい」
「わからない話がしばらく続いても、動かず黙ってそこに立っていなさい」
「チャイムが鳴って30分過ぎたけど、遊びを辞めて教室に入りなさい」
「先生は疲れたから、あとは悪いことしないで適当に過ごしなさい」
こういう状況が突如として現れ、苦しむ子どもを見るのも事実

そんな時
「できる限り予定を教えましょう」
「子どものわかる方法で時間を示しましょう」
「伝えた通りに私たちも動きましょう」
「秩序を求めるのなら秩序を持って教えましょう」と先生方に伝えても
予定、継続、秩序を保つことが苦手だから、もちろん実行は難しく
その必要性や重要性すら感じてもらえないことがほとんどだろうと想像する

ましてや家庭にそれらを求めたところで
実行される可能性は限りなく0に近い

この1年間何度となく感じてきたここの現実


では私にできることはなんだろう

彼らがどんな世界に生きているのか
日本ではどういった方法で彼らに物事を教えているのか
それらを伝えることだけかな

あとは、私自身がそうしてきたように
先生方がここの生活に合う形を取捨選択していけばいい




うん、それでいいと思う

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