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2011年1月31日月曜日

とりめし

昨日後藤さんからごぼうをいただきました
後藤さんと同期隊員の旦那さんが かつて野菜隊員で
現在は随伴家族としてエクアドルにいるそうです
未だお会いしたことのない方ですが
時折後藤さんのもとに届くみず菜や春菊といった
ここではなかなか口にすることのできない野菜は
その方がここエクアドルで栽培しているものだそうです

昨晩は後藤さんが その方から届いた春菊で胡麻和えを作ってくれ
涙が出るほどおいしかったです
胡麻和えを食べるとおばあちゃんを思い出します
おばあちゃんの胡麻和えはかなり甘めで
私が作った時には「甘さが足りない」と駄目だしされたことを覚えています
おいしかったなぁ おばあちゃんの胡麻和え

届いた野菜の中にあったごぼうを少しいただいて来て
今日は家族にとりめしを作りました

先日届いた救援物資の中に入れてもらった干しシイタケ
いただいたごぼう
ニンジン、鶏肉
醤油に砂糖
お酒がなくてどうかなぁと心配でしたが
干しシイタケの戻し汁でいい出汁もでて
自分では結構上手にできたかなぁって




特に長男とJennyが喜んで食べてくれました
お父さんは「これにはケチャップだな」って・・・
以前作ったから揚げやカレーにもケチャップをつけて食べていたのを思い出すと
よほどケチャップが好きなんでしょうね


天気のいい日曜日
とりめしで心も体も満たされた午後です

2011年1月29日土曜日

君に届け

先日 先輩隊員がお勧めアニメを紹介してくれました
小さな頃からアニメや漫画にはあまり関心がなく
外で遊んでばかりいる子どもでしたが
ここでは時間もあるし どれどれと

その名も「君に届け」
第一話プロローグですっかりはまっちゃいました

見た後
なんというか心が浄化される感です

続きを見る楽しみ
32歳にしてアニメの面白さを再発見した私です

2011年1月28日金曜日

頑張ってみたい

初等クラスB 朝の会の様子
今日はコーディネーター兼CP(カウンターパート)の先生に声を掛け
朝の会を見に来てもらいました
本当はもうひとつの初等クラスの先生と校長先生にも声を掛けたのですが
結局見に来てくれず 校長先生は後になってから月曜にまた見に来ると。。
CPの先生は朝の会が終わった後その内容や様子をほめてくれました
担任の若い先生も子供たちの変化を少し自慢げに説明してくれました

色々と悩んでい時にこんなことを言ってくれた人がいます
「悪い方へは、何かのきっかけでいっきに変わることが多いけど
良い方へは、時間をかけながら少しずつ変わっていくことの方が多いよね」って


昨日Jennyと学校のことを話した時
いつまでもお人よしではだめよって
そろそろ私自身が変わらなきゃいけないって
自分でも思っていたことをそのままJennyにも言われ
そうだよなぁって
今が弱い自分を変えられるチャンスだよなぁって

つい周りにいい顔をしてしまうところ
ある意味自分らしいところでもあり 短所でもあるって思っていました
学生時代の部活でも
後輩にすら何も言えない自分を変えたいなぁって思っていました

勇気を出すタイミング
今がその時かもしれない

頑張れ自分!

2011年1月27日木曜日

「適当」

日本はよくストレス社会と言われますが
この国に来てから改めてそのことを実感します

エクアドル人は日本人に比べて時間にルーズだし
整理整頓は苦手だし
昨日言ったことと今日言うことは違うし
良くも悪くも「適当」という言葉がぴったりです

一方日本人は細かなころまで神経が届くし
約束は守って当たり前だし
段取りを大切にする
良くも悪くも「真面目」という言葉がぴったりです

そんな対照的にも見える二つの国で感じるストレスは
少し種類(質)が違うような気がします

強いて言えば「複雑なストレス」と「単純なストレス」といったところでしょうか

ここでは悩みも苛々も憤りも 42時間以内に泡のように消えていくのです
日本ではそうはいきませんでした
常に色んな目が気になっていたように思います
もやもやをしばらく引きずることもしばしばでした

日本は自殺率が世界6位(欧米先進国の中ではトップ)だそうです
主な原因としては、過労や失業、倒産、いじめなどがあげられていますが
自殺によって自身の名誉を守ったり責任をとったりといった
日本人ならではの倫理観も影響してるようです


さらに日本人は本当によく働きます
前世が働き蟻か働き蜂なんじゃないかと思うくらいいつも働いています
朝から晩まで働いているうえに
家に帰ってからも仕事のことを考えています


私もそんな日本人の一人でした


エクアドル人は(と、ひとくくりにするのはいけませんが)
家族や恋人とのプライベートな時間を何よりも大切にします
だから仕事でストレスがあっても
一旦家に帰るとそんなのどうでもよくなるのかもしれませんね
ストレスのしわ寄せは
家族にいくのではなく他人にいっているような気もしますが・・・




私が思う幸せの定義は
それぞれの人が持つ個々の物差しで図れるもの




時には「適当」の心地よさを感じながら生きられたらいいなぁって思っています

2011年1月25日火曜日

嬉しい一日

今日は6日ぶりの学校
キトで買った新しいスニーカーを履いて歩幅広めに出勤しました

先週まで入っていた例の若先生の学級での継続支援
朝の会から帰りの会まで
今日は一日落ち着いて子供たちと一緒に過ごすことができました


朝の会の流れ
椅子の移動と整頓
教材を使った学習のルール
おやつやジュースをお友達と分け合うこと
食事前の手洗い
食堂に向かう時の準備
帰りの会の流れ


子ども達は先々週私と一緒につくった一日の流れやいくつかのルールを理解し
とてもよく見通しを持って行動できていました

決まりや秩序がほとんど何もないところからのスタートでした
キトに行く前、担任の先生には
○一日のリズム、学習の流れは一定に
○一方内容は、子供の興味関心や成長に合わせて随時変えていく
この二つのことを話しました

どうやら私のいなかった3日間
そのことを意識しながら指導してくれたようです

子ども自身が見通しの持てるリズムを作ってあげることは
子どもたちが主体的に動く大きな助けとなります
ほめてあげられる場面が増えると子どもとの信頼関係も深まり
子どもの「こころ」が成長します

とっても地道で時間のかかる作業ですが
子どもたちは少しずつ成果を見せてくれるものです

努力が報われるときがいつ来るかはわかりません
その報いを実感できない時もあるかもしれません

どんなときも誠意を持って物事に向き合うこと
それだけでいいような気がします
そんな自分でいられれば そばにいる誰かと幸せを共有できるような気がします


落ち込んだり喜んだり
あらためて貴重な時間をいただいていることを感じる私です

2011年1月24日月曜日

こんなの欲しかったんだぁ

ピアスの穴をあけてからというもの
プレゼントでピアスをもらったり
行く先々でピアスを買ったりと
日に日にピアスが増えてきました

なのでピアスを収納するケースをしばらく探していましたが
これがまたなかなか見つからない
そこで先日後藤さんがチリで購入したピアス掛けを参考に
得意の段ボール工作してみました


木があれば本格的な物ができたんですが・・
今回はひとまず手元にある教材作りのために集めた
よりどりみどりの段ボールコレクションで

素材が軽いので石の亀親子が文鎮として大活躍
さらに味気ないカートン素材にほのぼの雰囲気を添えてくれています

日本人に戻った3日間

皆さま☆こんにちは
憂鬱な週初めからキトに上がり
すっかりリフレッシュして昨日家に帰ってきました

そんな3日間の出来事をダイジェストで

20日(木)
中間報告会・安全対策協議会・ボランティア総会・部会報告会

約一年が過ぎる頃に行う中間報告会
今回は5名の先輩隊員の発表
みなさん堂々としたスペイン語でとっても格好良かったです
ちなみに私たちは今年7月に予定しています大丈夫かなぁ・・・
パワーポイントを使って
これまでの活動の成果や今後の課題を発表します



21日(金)
健康診断と大使館主催の新年会

エクアドルに来て初の体重測定
目を疑う数字にダイエットを強く決意したにもかかわらず・・・
新年会のごちそうに「今だけ」と心の中でつぶやきながらがっつり食べ尽くした私です
右から今井大使、大使奥様
左端:櫻井調整員
カリフォルニアロール
伊達巻き、蒲鉾、黒豆
御雑煮、御汁粉、きなこ餅・・・
おいしゅうございました
青空のもと 金魚が泳ぐ池のある庭で立食パーティー
幸せなひと時でした
22日(土
朝はゆっくり起床
民芸品が並ぶメルカド・インディヘナ行き
むつの小学校の子供たちにキーホルダー
お世話になっている先生方にマフラーを購入

3時半 大きな荷物を背負って帰路につきました

夕方5時帰宅
末娘とJennyとバナナケーキを作りながら談笑

明日からダイエットと誓った土曜
バナナケーキを食べながら「ダイエットはまた明日から」と誓いましたとさ

2011年1月19日水曜日

何がなんだかわかりません

今さっきJennyが帰ってきてこんなことを言いました
「今日Paula(23歳の若先生)が、教材は全て自分が作ったものだって会議でみんなに言ったって
 Gelmy(同僚かつ親戚)が言ってたよ」って
さらに
「教材は全てかおりが作ったってことはみんな知っているし
 校長は「彼女はうそをついているって」って言ってた」と


今日の会議は門番を頼まれたので私は参加していませんでした

こういう話を聞くと何が本当なんだか分からなくなりますね



その名も「ボランティア」

昨日の若い先生は今日も学校に来ていました
そこで休み時間に昨日のことについてたずねてみました
どうやら校長先生に他の学校に移ってほしいと言われたそうです
ようするにもう必要ないって言われたそうです
あまりの衝撃発言に驚きました
理由はしばらく学校に来なかったからだって。。
全身管だらけになりながら酸素マスクをつけている息子のそばにいたことがいけなかったと!?
私が理解しきれていない理由が他にもあるかもしれませんが
校長先生は古い先生たちの目を気にしているところが多々あります
恐るべき御局たちです


今日は3分の1の先生がお休みでした
そこで本日もまた別の初等クラスを任されました

子供たちと信頼関係が築けていない私が
子供たちの実態もよく分からぬまま
何の教材準備もしないで
ましてや言葉も不自由で・・・
こんな状況でもうまくたちふるまえる先生になれたら最高ですが
今の私にはまだそんな技術はありません

さらに私は留守先生の代わりとして子供の掌握に来たわけではないのです
担任の先生にアドバイスしたり一緒に授業改善することが私の任務なのです
時々なら仕方ないと思うんです
でも今年に入ってからは毎日こんな状況です
先週からのクラスで使いたいと思って昨晩作っていった教材も
今日は鞄の中で出番を失ってしまいました


加えて、用務員さんが早退したので最後の子供が帰るまでの門番も頼まれました
門番しながら先生たち全員を見送るのです

この状況は決していいとは思えない
私は子供たちのために来たんだもん
そろそろいい顔だけの私じゃいけないなぁって思っています
先生方にとって都合のいいボランティアだけではいけないなぁって



明日からキトに上がります
木曜日には先輩隊員の中間報告会も傍聴します
問題解決の糸口となるヒントを
一つでも貰って帰ることができたらなぁって思っています

金曜日は健康診断と大使館主催の新年会もあります
ラタクンガへは土曜日に帰ってくるつもりです


それでは皆様しばしのお別れ Chao!

2011年1月18日火曜日

悔し泣き

小さいころからまわりの大人に「負けず嫌い」と言われる事がありました
自分では負けることが嫌いと思ったことはほとんどないかなぁ
ただ悔しくて涙が出ることはしょっちゅう
恥ずかしながら それは32歳になった今でも変わりませんの
なんで悔しいと涙が出るんでしょ

今日はこんなことがありました
しばらく息子さんの入院でお休みしていた23歳の若い先生
今日しばらくぶりに復帰しました
彼女はすっかり頬がこけ 未だ涙目でとてもかわいそうな姿でした
そんな彼女に精神的な負担をかけないように気を遣いながら 
先週までの取り組みにアドバイスを添えながら引き継ぎをしていました

休み時間になったころ 他の先生が二人用事で外出することになり
今度はその2学級の子供たちをみてくれと頼まれました

10日間かけて作った一日のリズムを引き継ぐためには
子供たちとその先生と一緒に一日過ごしながら引き継ぎたいと思っていたので
それができなくなったことがとっても残念でした

まぁ、仕方ない
明日もチャンスがあるさと割り切って
休み時間子供たちと遊んでいると 一部の子供たちが乱闘
その仲介に入っている間に また別の子が他の子にけがを負わせてしまいました
そこにいた大人は私だけ
他の先生方は日陰に座りながらいつもおしゃべりにほうけています
普段からそういう状況が問題だと思っていたので
今日はそのいことをカウンターパートに伝えました
彼女も同じ意見でした
でも、みんな我がままだからどうにもできないんだって
とほほですよ
彼女も含めて不仲な職場なので
次の会議の機会にはそのことを私から提案することになりました

そうこうしていると留守にしていった担任2人も帰ってきたのでまた初等クラスに戻ると
23歳の若先生がボロボロ泣きながら「明日からもう学校に来ないわ。」って・・・

理由は分かっているんです
先週彼女が休んでいる時に彼女について
出勤時間が遅いとか 指導について何も分かっていないとか
そんな話が会議の中で出ていたんですね
どうやらそのことについて校長先生が彼女に話したようです
おいおい今日彼女は
未だ入院中の
肺炎にかかっている4カ月やそこらの息子さんのことで心が弱ってるではないかぁ
そこに勤務態度を改めよと話をしたと!?
そりゃぁ もう学校に来たくないって思うべさ

と、今日はたった5時間の間に色んな出来事があり
トホホな悔し涙もでたわけさ


こんな時は子供の無邪気さに救われます


この子たちのためにも
若先生がまた学校に来ますように・・・

2011年1月15日土曜日

ガチンコ週間

この一週間半
久々に子供達とのガチンコ生活は充実感がありました
学校では自分が言葉に四苦八苦しながら
子供たちにコミュニケーション指導でしょ
お互い言葉の理解に不自由な者同士
そんな時は具体物が両者をつなぐ媒介になります
なので 家に帰ってからは毎日教材作りに勤しみました
今週一週間でかなりのエネルギーを消費した気がします
いまとっても疲れています
が、何とも心地のいい疲れです

教師の醍醐味はなんといっても子供の成長です
それを感じられるから充実感があるんでしょうね
そうそう、二日前から休んでいる先生のお友達(奥)がお手伝いに来てくれています
建築関係の勉強をしている学生さんで、障がいのある子とのかかわりは初めてだそうです
ほとんど無口です(凄まじさに圧倒されてる?)
下は5歳 上は15歳のでこぼこクラスです
みんな今年からの入学者
集団生活自体が初めての子供ばかりです

2011年1月14日金曜日

点が線に・・・

初等クラスの先生のお子さんが肺炎を患っているそうで
今は酸素マスクをしながら 一時も目を離せない状態だそうです

そのピンチヒッターとして
先週の水曜からその学級に入り担任をしています
約一週間が経ち
毎日少しずつ整えてきた教室環境、教材、学校生活リズム
少しずつ子供たちも波にのってきたようで
ほんの少しですが手ごたえを感じる昨日、今日でした

いつも逃げ回っていたジョルディー君もすっかり私の手下になり
休み時間も私にくっついて遊んでいます
作っていったものを次々に破壊してくれたオスカル君も
(相変わらず落ち着きませんが)
悪いことをした後は私の顔をじっと見て
自分の行動を振り返る瞬間を持てるようになったかな?
今日は「悪いこと」「良いこと」カードを作って言ったら
それを何度も指さして 私に何かを伝えたがっていました

障がいを持つ子とのかかわりは
互いの折り合いラインを探る作業でもあります
その子の力を信じ ここは頑張ってほしいと思うこと
「障がい」という背景を理解し ここは許容すべきと思うこと
障がい理解、本人の思い、家族の願い、生活環境・・・
総合的に判断していかなければいけません
いつもこれでいいのかなぁ って自問自答の繰り返しです

私の仕事のモットー「元気 根気 のんき」で 
さて明日も頑張るか☆


私の本来の任務は先生方への助言なんですがね・・・ま、いっか^^;

2011年1月13日木曜日

ついに

日本から持参していた禁断のドライ納豆の封をついに開けてしまった・・・

これまでに何度 手にとっては握りこぶしを作って戻したことか
袋に行書体で書かれた「納豆」の文字
脇には藁から顔を出した納豆の写真
何ともにくい演出である


ほんのり醤油味
ん~
噛めば噛むほど出てくるネバり感
ん~
欲を言えば乾燥してないやつをコシヒカリとかっ込みたかったぁ
それでもかなり欲求は満たされました


ちなみに私のとっておきは
お父さんからのホタテの貝柱と
あじちゃんからの乾燥梅
大事に大事に食べています

2011年1月12日水曜日

巣立ち

この3月にステー先の長男がアルゼンチンの大学に留学します
これまでエクアドルのアルゼンチン大使館に通い
数か月かけていくつもの書類をそろえてきました
昨日ようやく全ての書類がそろい残すはビザだけ
いよいよ留学が現実的なものになってきました


昨晩Jennyの学級でPTAの集まりがあり
その場で保護者達に
3月、長男に付き添う関係で2週間ほど休みをもらうことを話したそうです
Jennyにとっても長男の巣立ちが現実味を帯びてきたわけです

学校から帰ってきたJennyは私の部屋に来て
「寂しいわ」と涙を流していました
私が「子供はいつか親元を離れる時が来る」と言ったら
「かおりはまた親のいる国に戻ることができるけど、Jose(長男)は外国に行っちゃう
 それに、むこうでは家族との暮らしではなく一人きりの暮らしになる・・・」って
親になったことのない私は想像の範囲でしかものを言えないけど
それはそれは心配で寂しい思いでいることでしょう

Joseは以前私に「大学を卒業してもエクアドルには戻らず、アルゼンチンで結婚してむこうで暮らしたい」と言ったことがありました
大学生活だけも最低6年
ひょっとしたらそれ以上・・・

エクアドルの家族は皆近くに住んでいて 何かとすぐに集まります
日本で、一人身にもかかわらず親元から離れて生活していた私を不思議に思うほど
こちらでは家族と一緒に過ごすことを何よりも大切にしています
それなのに外国に行っちゃうなんて
そこで一生生活したいと思っているなんて
親としてはこの上なく寂しいことでしょう



私の配属先でボランティアしてくれているJose
一緒に学校に行ったり旅行に行ったり
私の片言のスペイン語を辛抱強く聞いてくれ
いろんな会話をしてくれました
そんな心やさしい長男です

Joseとの生活も残すところあと1カ月半
そんな事を考えると私も寂しい今日この頃です





2011年1月10日月曜日

家族旅行

今朝起きて間もなくJennyが「Puyoに行こう」と。
仕事がたまっていた私は、仕事と旅行を天秤にかけ即答
「Vamos!(Let's go)」である

私を含めて我が家は7名
おじいちゃん、おばあちゃんに
Jennyの妹家族4名の合計13名
二台の車で小旅行に出かけてきました

車でだと片道3時間半ってところでしょうか
以前一人旅でも行ったことのあるPuyo
今回はあと30キロってあたりで土砂崩れのため通行不可
結局Puyoまではたどり着くことができず
手前のBanosで少し遊んで帰ってきました

バーニョスの谷で

鱒の炭焼きを食べました
やっぱ魚が好きだなぁ
こうやって家族旅行に自分も加えてもらえることが嬉しいです
今しかできないこの家族との生活
大切にしたいです

2011年1月9日日曜日

相棒「えくお君」

私の部屋に机が来てからこの一週間
午後のほとんどの時間を机に向かって過ごしています
パソコンを開いたり手紙を書いたり
教材を作ったり調べ物をしたり
一気に部屋の快適度が上昇しました

私、日ごろから「快適度」にこだわるところがありまして
使いやすい場所に使いやすい物が常備してあるとか
動線上に効率よく物が配置されているかとか
これ、性格的なものというより職業柄だと思います
同じ分野の方は分かると思いますが
いわゆる「環境の構造化」ですね

そんなもんだから
いまいち部屋の環境が気に入っていませんでした
寝るだけならいい部屋なんですが

以前はいつもダイニングで仕事をしていました
ある時テーブルで教材を作っているとカッターでテーブルクロスを切ってしまって
はい、叱られました・・・
なので今は誰にも気兼ねすることなくしたいことができる環境に大満足
あまりにも机が気に入ってしまったので
今日机に名前をつけました

スペイン語で机は「リトリ」といいます
エクアドルにあるリトリで「えくお君」です

これから1年3カ月間 短いお付き合いになりますが
どうぞよろしくお願いいたします☆えくお君

2011年1月8日土曜日

ダンボックリ

小さい頃「缶ポックリ」が好きでよくやった記憶があります

昨日ネットで子供の遊びを色々と調べていると
段ボールを使ったカンポックリ、名付けてダンボックリ(byかおり)を発見!
早速試作品を作り今日学校に持って行きました

いつも逃げ回っているジョルディーくん
この時ばかりは一人じゃ難しいので私を頼ります

普段からけっっこう手を焼かせてくれるジョルディー君が予想以上に喜んでくれ
何度も何度も挑戦していました
こういう時間が子供たちとの距離を縮めてくれます



夕方スーパーで段ボールをたくさんもらってきました
週末は高低大小様々なダンボックリ!作りますよー

エクアドルのお煎餅

ふとお煎餅が食べたくなる時ってありますよね
放課後の職員室で誰かがお煎餅を食べているとすぐ分かる
あの香ばしい匂いとおいしそうな音
臭覚と聴覚が感知したお煎餅波は猛烈な勢いで食欲をそそります

ひと仕事終えた夕暮れ時
お茶をすすりながらお煎餅を食べる
何ともホッとする瞬間です

エクアドルの生活でお煎餅が食べたくなったこと
そう、一度や二度ではありません
日本からの救援物資の中にも何度か入れてもらいましたが
数に限りもありますし・・・
実はその欲望を満たしてくれる食べ物がここにもあったのです
その名も「こころん」
なんて可愛らしいホッとさせてくれる名前でしょう


この国の主食はお米 よかったぁ
ですが日本と違ってエクアドルの多くの家庭では
炊飯器ではなくお鍋でご飯を炊いています。
Jennyの実家では炊飯器を使っていますが
我が家も配属先の学校も普通のお鍋です
ちなみに後藤さんと末松君は圧力鍋です

そして日本と違うのはご飯を炊く時に塩と油を入れること
そろそろ「こころん」の正体が何だか分かってきましたね
そう!いわゆる「おこげ」です
塩分も油分も適度にある「おこげ」
まるでお煎餅のようなんです
もう少し近寄ってのぞいてみましょうね
こうやって見ると特においしそうに見えないけど
うまいんだこれが


今日のココロンはパラパラでしたが
お煎餅状に剥がれる時もあります
鍋の底にココロンが見え始めると「ココロン♪ココロン♪」って
軽くはしゃいじゃいます

意外なところに意外なおいしさを発見して以来
私はココロンの虜です♪

2011年1月7日金曜日

思い出

先日ふとこんなことを思った

一日の思考のうちで思い出(回想)が占める割合はどれくらいなんだろうと

よく「前向き」「後ろ向き」という言葉を使うが
過去ばかり振り返っている、なんて聞くと何だか後ろ向きな印象を受けてしまう
では、回想時間の割合と後ろ向き度は比例関係にあるのだろうか

いや、思い出にも種類があって
現在の励みになっている思い出だってたくさんある
また、成長の糧になる反省的な思い出(回想)だってあるはずだ

少なくとも私にとって思い出(回想)は今を支える大きな要素になっている

もし、何らかのきっかけで記憶障害になったら・・・
そんなことを考えると、私は大きな支えを失うような恐怖心を覚える

人は現実としてその空間にいるだけではない
事実としての過去と 心の中に残る思い出としての過去
4次元以上の世界に生きているんじゃないかと思う

今ここで起きている出来事が
刻々と思い出に変わっていく
何だか切なくていとおしい今である

何が見えるかな~?

昨日、今日とPrimero Basica(初等クラス)の先生がお休みしているので
聞こえ良く言えばピンチヒッター
現実は利便性のよい駒としてそのクラスに入っています

あるときは食事の配膳婦
あるときは校舎の清掃員
あるときは所在不明児童の捜査員
あるときはいがみ合う先生間の伝書鳩
そう私は利便性が高いボランティアなのです

おっと愚痴るところでした
そんな話は置いておいて

今日はトイレットペーパーの芯を使って子供たちと双眼鏡を作りました
ボンド たくさんぬってね~
とっても上手にはれてるね~ダリオ君
下は5歳からの子供たちと
人も物も不足した環境で
自分自身は言葉も不自由で
正直へとへとですわ

おっとまた愚痴るところでした

そんな無邪気で小悪魔のような子供たち
できた双眼鏡をのぞいて花や牛、無数のごみたちを喜んで見つけていました
教室の窓からは何が見えるかなぁ
み~つけた!セニョリータかお~り~
お花 み~つけた!
あちらの世界とこちらの世界
どんな風に見えているかな?
明日はなにして遊ぼうかなぁ♪

2011年1月5日水曜日

変身願望

2011年元日
ちょっぴりやんちゃな私でした

2011年1月4日火曜日

2011仕事始め

みんなから届く新年のメールにやる気をもらい
意外にもふつふつとやる気が湧いている今日だったのですが・・・


本来ならば12月を目途に作成しなければいけなかったJICA活動計画
年末にかけてあったオリンピックや各行事
パソコンの不具合を理由に延ばし延ばしにしていました
今日はその件に関してコーディネーター(兼カウンターパート)の先生とたくさん話をしました

少し話はそれますが 先生方の普段の様子は
「子供たちのために」という思いに欠け
度々個々のエゴイスティックな主張がぶつかり合い
人間関係の補修が第一の課題だと誰しもが思ってるようです
ところが皆うまくいかない原因が自分以外のところにあるという考え方なので
状況は一向に改善しません
そこでよそ者ができることは何もなく
仕方ない、その問題は一旦横に置いて本業に専念しようと考え直した年末年始

そんな気持ちで臨んだ今日の話し合いは予想以上に難航・・・
原因はやっぱり人間関係でした

というのもコーディネーターの先生自体が周囲から問題視されているようで
何を提案しても「それはA先生はやらないわ」「それはB先生はやらないわ」と
さらに、コーディネーターの仕事は隔年で持ち回るようで
「今は仕方なくコーディネーターをしているけど、もういや。
あんなエゴイスティックな先生たちとは一緒に仕事できない。来年はもうやめるわ」と

前述しましたがコーディネーターの先生は兼カウンターパートです
すなわち私の相棒役なんです
その人がいやいやその役を担っているため何事にも悲観的
「それはできない」「それはみんながやりたがらない」と話が一向に前に進まないので
「じゃぁ私と何がしたいの?」って尋ねると首をかしげる始末です

結局個人で各教室を回り
新しい若手の先生を中心に指導の仕方や授業の組み立て方などを提案する
というのが当分の私の仕事となりました

全体的な時間割や生活習慣に関する提案は
職員全体の意思統一が図れないとあえなく却下され
あらためて活動の難しさを感じて帰ってきた今日でした


それでも今日はいいことも
ひとつは
先日のオリンピックの写真をスライドショーにしそれを全校生徒に上映したこと
みんな喜んで見てくれました
本校にはプロジェクターがあるんです
スクリーンはありませんがすごいでしょ!
白っぽい壁があれば見れますよ
見ている見ている
もうひとつは
念願の机を購入したこと
机といす 併せて110ドルなり
これで仕事もスペイン語の勉強もみんなへの近況報告も
腰を痛めず快適に進められそうです
それだけでウホウホです
お気に入りの置物も並べて
そんな感じで
めげずるもんかと明日も歩幅3センチアップで登校しよっと

2011年1月2日日曜日

冗談でしょ

エクアドルで初めて迎える年越し
一言で言うと・・・
「冗談」です

クリスマスが終わったころからこんなお面が売られるようになりました






おひとつ、あなたの部屋にどうですか?
落ち込んだ気分も忘れさせてくれるでしょう
もしくは、落ち込んだ気分をさらに落ち込ませてくれるでしょう

というものではなくてね
実はエクアドルの年越しには人形を道端で燃やすんです
完成した人形(完成度はかなり低い)も売っていますが結構なお値段で
多くの家庭では 古着におがくずを詰めて自作します
一般的には ご主人を真似て作ることが多いようです
我が家も3体作りました
この中からお父さんに似たやつを探して買いました
新年の午前12時を前にみんな道路に出て
旧年の厄払いの意を込めてその人形たちを燃やすのです
車窓から
一瞬ドキッとしますが
人形です
Jennyの実家に向かう道のあちこちで突然ロープが張られ 
女装した男性や仮装した子供たちが
「通行料○セント」と勝手にお金をせびります
そしてみな当たり前のように払っています
日本では考えられない光景ですね
おかま達に行く手を阻まれ・・・
仮装した子供たちにも行く手を阻まれ・・・
根拠のないお金を払わされました
それは夜中まで続きました
クリスマスと変わらない正月料理を食べ
年越し30分前に道路に出て例の人形を燃やしました
その後誰からともなく「Feliz Año(「あけましておめでとう」ってところでしょうね)」と言いながら抱擁

遠くにもたくさん灯の影が見えていました
Feliz Año!
その後まだ燃え続ける人形を後にみんなそそくさと家入っていくので
「このままでいいの?」って聞くと
「大丈夫、問題ないから」って
確かに大丈夫だったけど・・・ねぇ

それからぶどうを12粒
12時にお願い事をしながら食べるんですって
ここら辺も適当で
買えって言われたから買ったのに
私しか食べていませんでした


そうそう忘れるところでした
30日に街をふらふら歩いていると
山積みにされた黄色いパンツが道のあちこちで売られていて
その理由を売り子のおばさんに聞くと「新年の幸運を祈って年越しに履くのよ」
「今日は1ドルだけど、明日の大晦日には2ドルになるから今日が買い時よ!」って
”黄色いハンカチ”ならぬ”黄色いパンツ”
家に帰ってから家族に確認すると
子供たちはその風習を知らなかったのに
Jennyには「そうよ!だから買わなきゃだめよ」って
なのに当日家族は誰も履いていませんでした
ちなみに私は自前の薄黄色のパンツをはいて年を越しました



年が明けた後は踊って飲んで歌って夜を明かします
私の苦手な時間がやってきました
みんなに「踊れ踊れ」と言われながら3曲踊りました
その後、家族の許しをもらいおばあちゃんのベットで寝かせてもらいました

元旦午前7時
玄関先から聞こえてくる熱の入った歌で目を覚まし
居間に戻るとぐったりソファーに横たわる親戚たち
玄関先ではうつろな目の男性陣4人がギターを抱え歌っています

あ、、、みなさん飲み明かしたんですね

その後目覚めの迎え酒をいただき
知らないおっさんの嘔吐物を処理し
すがすがしさの全くない迎春でした


日本とは違ったエクアドル流の年越し
厳粛な雰囲気はかけらもなく
お祭り好きな南米らしい愉快な年越しでした


最後になってしまいましたが
皆さま あけましておめでとうございます
2011年もmomoの空のもと
皆さまとのつながりを大切にし
感謝の気持ちを忘れずに日々を送りたいと思っております

本年もどうぞよろしくお願いいたします☆

ところで今年は何年?