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2010年11月29日月曜日

国勢調査

今朝は午前7時の長いサイレンとともに外出禁止になり
国内全ての商店、飲食店が営業中止
公共の交通機関も基本的に全て運休
万一外出が見つかった場合警察に拘束されて罰金も科せられるということで
今日は車の音すら聞こえてこない静かな静かな一日でした

我が家には3時ころ
17,8歳の学生さん窮屈そうにリュックを背負ってやってきました
調査員は学生ボランティアを動員
我が家の次男もその一員でした

初めに世帯主のパパさんが家の状況(部屋数、電気、ガスの使用状況など)を答えた後
今度は一人ひとり年齢や人種、職業などについて質問されました
私も例外ではなく
自分は日本人であること ボランティアとして学校に勤めていること
両親は日本語を話すことなど 質問事項に沿って答えていきました

夕方17時 再び長いサイレンとともに外出禁止令が解除され
一日に渡る監禁生活から解放されたのでした

    ←パパさん        調査員の学生ボランティア→
キト市内だけでも65000人の学生さんが動員されたとか

2010年11月28日日曜日

折る 折る 折る

もう先月の話になりますね
折り紙の展覧会を開催するお手伝いをしたときに
その会場に来ていた地元の方に講習会を依頼された話をブログでも書いたかと思います
その時の話が今日実現し
近くの公民館のような場所で折り紙講習会をしました

講師は後藤さんと末松くんと私
ラタクンガ隊員3人総出です
話では20名ほどの受講者と聞いていたのですが
実際に今日来たのは8名
今日は明日の国勢調査に備えて買い出しや用足しに出ている人が多いため
予定よりも人数がすくなくなったとか
話がそれますが明日は国勢調査のため
エクアドル国民は家から出てはいけないんです
外出したら逮捕されることもあり得るとか・・・怖っ

初めはチラシで十分よと午前10時から30分ほどチラシを正方形に切りまくる
大方の準備が整い さて準備体操から始めましょ♪
ここでも得意のラジオ体操をみんなでやっちゃいました
身体も程よくほぐれ
初めは「いぬ」「猫」「ウサギ」の動物バージョン
お次は「コップ」に「帽子」に実用品バージョン
最後に「しゅりけん」とそれを入れる箱を作って今日のところはここまで

10歳ほどの男の子から60代ほどのおばさんまで
みなさん真剣に折っていました
クリスマスに向けた飾り作りをしたいということで
次回は紙風船と天使(←作り方知りませんが。。。)をリクエストされました

末松君は残りの任期があと1カ月ちょっとなので
3人でそろって何かをやる機会はこれが最後かなぁ
ちょっと寂しいです

次は12月10日に第2回目の講習会を予定しています☆
後藤さんはどこに行っても頼れる存在です
名前聞くの忘れた・・・今日の最年少
みんなが立って作ってる中
最初から最後まで座ってたボクです

2010年11月26日金曜日

エッグキャンドル

12月3日に
市内のハンディーキャップを持つ方々がつくった商品を売る市場が開かれます
その際本校の青年クラスも出店するため
今はその商品作りに精を出しています

バッグや帽子(かぶり物)、テーブルクロスなど
手芸品が中心となっているため
昨日紹介した3人はなかなかその作業に加わることができず
私が考えたのは「エッグキャンドル」
これは駒ケ根訓練所でスタッフの方が開いてくれた講座で教わったもので
クリスマスに向けてタイミングのよい商品となるのではと

先週末試作品を作って学校に持参したところ
担任の先生が賛同してくれ
早速昨日今日と授業で作ってみました

現在木工作業に取り組んでいる5名の男子生徒をぬかしたメンバー10名ほどで作ることになったのですが
今は材料が不足していて「生産」というよりは「工作」って雰囲気で・・・

商品にするにはまだまだ少ないですが第一弾が出来たので紹介します☆
ろうを流しいれる前に
卵の殻の内側にバターをぬります
みんな楽しげですね
とかしロウに削ったクレヨンを入れて色付けします
レースをつけておしゃれにデコレーション
エッグキャンドルをもって記念撮影
材料の質や量など次への課題は残りましたが
生徒自身が作業に見通しや目的意識を持って取り組めるように
手順表を作ったり販売を意識するための声掛けをしたり
私の意図するところが先生方に少しでも伝わってくれたら嬉しいなぁ

2010年11月25日木曜日

古希

11月25日の今日はお父さんの誕生日です
葉書が届いたとのメールが昨日の日付でお母さんから来ていました
そのタイトルはズバリ「古希」
本文にはこんな説明も↓


60歳は還暦、70歳は古希といいますね。
古希とは、唐の詩人の「人生七十古来稀なり」
(じんせいしちじゅうこらいまれなり)に由来しています。
70歳まで生きるのは希だという意味の詩です。

今では100歳まで生きることも稀ではなくなって
70歳になったお父さんもまだまだ若造だそうです
しかも気持ちは50,60代というから若若造です

昨年は色々なことがあって人生初の長い入院生活も体験したお父さん
「経験」をして初めて得ることができる「実感」
若若造といってもいくつもの実感を積み重ねてきた人生だからこそ
お父さんのあの優しさがあるんだろうなぁと思います

娘は地球の裏側に行っちゃって
息子は結婚の気配すら感じさせてくれない・・・
いつになったらホっとできるのかと思ってるかもしれませんね

楽しみは後半にとっておいて
もうしばらくはお母さんとももちゃんとのんびり平和な時間を過ごしてくださいな

ときどきふと思い出すお父さんとの思い出は
臭いトラックで魚の箱を集めた夕暮れ
一度「おいしい」といった焼きトウモロコシスナックと果実入りぶどうジュースを
毎日のようにお土産に買ってきてくれたこと
おばあちゃんの家からマニュアルの軽トラを運転する私の隣で大笑いしながら帰った正月
酔っぱらった私を札幌まで迎えに来てくれ 道中背中をさすってくれたこと

どれも優しい匂いがします


今このブログをお母さんに読んでもらって
隣で涙しているお父さん
今年もまた健康に過ごしてくれることを心から願っています

古希の誕生日おめでとう☆大好きなお父さん

2010年11月24日水曜日

働く喜び


昨日と今日、青年クラスの生徒3人と一緒に箱にペンキをぬっています

どの教室も雑然と物が散らかっている状況なので
子供が自ら教材や工作道具を整理整頓できるようにと思い
先週末、全校生徒の保護者に呼びかけ集まった箱たちです

一人は脳性麻痺のため車いすでの生活(写真には写っていません)
右の彼は私のふたつ年上です
障がいの程度を「重い/軽い」と表現した時に
この3人はクラスの中でも「重い」方になり
他のクラスメイトが作業をしている中 椅子にただただ座っている毎日でした
その光景を見た時
学校は生活にはりと潤いを与える場でないと
彼らの目が輝く場を作ってあげたい と思いました

実際に担任の先生も彼ら3人の指導に頭を悩ませいていたと思います
(・・・どうでもいいと思ってないことを願います)
3人は障がいや経験の少なさからくる手先の不器用さもあり
確かにできる作業が限られてはいるものの
それでも必ずできることがあるんです
そして繰り返すことで学習するんですね
二日目の今日は私の指示がなくても自発的に作業を進めたり
塗り方が上達したり
働く喜びを感じているような目をしていました

毎日母親に迎えに来てもらっている車いすの彼女は
お母さんの顔を見るなり「今日も色塗りをしたんだよ」って
ジェスチャーを交えてうれしそうに伝えていました

昨日今日の生徒たちの変化を担任と校長に伝えたところ
「それは素晴らしい」とは言ってくれたものの
だから何が大事なのかって部分までは伝わってないんだろうなぁ
意識を根付かせるって本当に難しいことなんだなぁって
ましてや言葉でうまく伝えられない相手にね・・・

日本では勤労感謝の日だった今日
生徒の表情を通して働くことの喜びを感じる日となりました

2010年11月22日月曜日

深夜3時の思考

現在エクアドル時間でam3:45
30分ほど前に不意に目が覚めて
寝起きとは思えないほど色んなことを考えていたので
忘れないうちに書き留めておこうと思う
きっと寝際に三浦綾子の「母」を涙で読み終えた事が影響しているんじゃないかと思う


私はいつも「本当に大切なもの(こと)」を探している
ここへ来た理由もそれが知りたくて
「本当に大切なこと」を探す旅でもあった

最近なんとなくそれは自分の外にあるものではなくて
私自身の心の内にあるような気がしてきた
私の一番素直な「心」が何を大切にしたいと思っているのか
それを探す旅をしているような気がする

日本にいたころ
8年間自閉症の子供たちと多くかかわってきて
その子の行動特徴を数字化したり
それを研究大会などで発表したりすることに
多少なりとも違和感を感じている自分に気が付いていた
その違和感の原因は・・・
自分が大切にしたいと思うものが それとは別の何かで
もっとつかみようのない
もっと柔らかみのある
心がじんわりあたたかくなるような
目に見えないものだからなんじゃないかと思う

私の心を円グラフに表したとき
それがどんな形をかたどるか・・・
自分の一番素直な気持ちを探す旅はまだまだ続きます

カリッともっちり

今日は後藤さんのお家で 
Pan de Yuca (ユカ芋のパン)を作って食べました
カメラを持っていかなかったので写真がないのが残念
イメージとしては・・・
「ポン デ ケージョ」っ言うチーズ味の小丸いパン ご存知ですか?
あんな感じです

ユカと呼ばれる長芋っぽいお芋の粉をベースに
モッツァレラとフレッシュチーズを粉と同じ分量で混ぜ合わせます
水分は卵と牛乳で調節して
発酵なし
念入りにこねる必要なしの簡単パンです

外はカリッと香ばしく
中はもっちり弾力がある
チーズ好きにはたまりませんね
一口饅頭のようなフォルマで
一つ また一つとパクパクいっちゃいます



さてと
明日からまた新しい一週間が始まります
ワンツーワンツーって
腕を振って 足をあげて
歩こぉっと♪



2010年11月21日日曜日

カレー曜日

今日はJennyが講習会に出かけて私がお昼ごはん担当!
先日後藤さんから譲ってもらったZEPPIN&こくまろのカレールーを使って
カレー土曜日となりました

辛口と中辛のルーだったので子供たちには少々辛かったようですが
今回も長男とパパママには好評
晩もカレーを食べていました

デザートは先日「ちえのパラパラ」ブログで紹介されていたレシピを参考にチーズケーキを作って
こちらは全員がおいしいおいし^-^と大好評でした
ちえちゃんありがとぉ


二男のお友達も「riquisimo(「おいしい」の最上級)」と喜んで食べてくれました
そして私はもちろん明日の朝もカレーだよん

2010年11月20日土曜日

青空仰ぐ

今日は難聴学級の先生に頼まれ
体育の時間を使ってラジオ体操講習会をしました

写真に写っている生徒はみんな聴覚に障がいがある子供たち
なのでラジオ体操の曲を聞かせてあげることはできませんが
我が家の長男に手話でのカウントをお願いして
なんとか一通りの動きを一緒にできるようになりました

こういう体操はこちらの人たちにとっては新鮮みたいで
先生方からも「スーペル チェベレ!」と好評です

かなり仰いでますね
チュパテくわえながらでも問題なし!・・・?
みんな真剣に私の動きを見て真似していました
心がとっても素直な子供たちです
今日は4時半ごろまで青年クラスの先生と一緒に居残り
他にも今週は教材をいっぱい作ったり
先生に自分の考えを伝えたりすることができて
何だか充実感のある一週間だったなぁ

みなさんも一週間お疲れ様でした☆

週末はお出かけの予定なし
Jennyは明日も講習会があり
なんちゃってママを頼まれていますよぉ


2010年11月19日金曜日

学校見学 en Riobamba

今日は一カ月ほど前から計画していた
隣県の養護学校見学ツアーに先生全員で行ってきました
他から学ぼうとする姿勢があるだけでもうれしく
また私にとっては 同じエクアドルの障がい児教育を知るまたとない機会で
ビデオとカメラを両手にぶら下げ 
朝5時半 張り切って家を出発しました

念願のエクアドル国内最高峰チンボラソ山(6267m)を眺めながら片道3時間
ようやく着いた学校は380人の児童数を抱えるいわばマンモス校
職員も心理療法士、理学療法士、作業療法士、言語療法士を含めて58名と
国内ではハード面でかなり充実した学校と言えるでしょう

初めに校長先生が学校の概要を話してくれ
全部理解できたらなんぼいいべかって思いながら
お次は校内見学
教室や訓練室を案内され
行く先々で担当教員が指導の手を止めいちいち説明してくれます
私としては話よりも実際の授業風景や子供とのかかわり方をみたかったのにぃ
だって百聞は一見にしかずって言うでしょ よく
私は百回聞いても一見以下ですから なおさらねぇ

同僚の先生方は大層感心してメモを取りながら聞いていました
いいこといいことって思いつつも
この先実際に先生方の意識が変わるかどうかはわかりませんが・・・

日本の学校に比べればまだまだですが
確かに配属先に比べれば物理的な条件もそろっていたし
教室の掲示物や教材を見ても先生方の熱心さが感じられました

日本語並みに言葉が自由に使えたら
ここでやってる以上の教育技術を伝えられるのにぃぃぃぃぃ
むむむむむぅぅぅぅ

また 昨日のブログでも少し触れましたが
「心を育てる教育」をどう考えているか
そこについては説明をしていたかどうかも分からず

今私の話はみんなにとっては幼稚語並みの語彙力で
どれほど伝わっているかも自信がなく
とっても大事な事なのにとてもじゃないけど議論できず
悔しいっす


そして今日はうれしい再会も

見学に行った学校に二日前から
私たちの次の隊次でエクアドルに来た作業療法士の北山さんが活動していました

同じ養護学校での活動ということで
これから色々と相談できればなぁって心強く感じました



箱や棚に名前が貼ってあります
日本的には整理されているとは言い難いけど
エクアドル的にはかなり整理されている方です
フォミックス(スポンジ系の素材)を
数字の数だけノートにはっているところです
青年クラスの木工教室
やっぱり暇そうな生徒が多い・・・
これ、なんだと思いますか?
実は糸のこです
そう手動ならぬ足動
自転車をこぐと刃が上下に動きます

2010年11月18日木曜日

私の目標

今週は先週に引き続きTalleres(青年)クラスに入っています
私と同時に今年の9月からここで働き始めた 新しい二人の先生が担任をしています
私この二人の先生とは馬が合うというか 一緒に働きたいなぁって思うんです
二人は40歳前後の母親ですが 生徒のためにと前向きなやる気を感じます

先日授業プランを一緒に考えようと 一方の先生のお家に3人で集まりました
そこで彼女の妹さんに会い 家族の話を少し聞きました

実は妹さんは知的に障がいがあって
就学期には私の配属先に通っていたそうです
でも、現在もいるM先生にしばしば体罰を受けていたようで
それが原因で学校に通うことをやめたとか

そしてもう一方の先生も多動性症候群と学習障がいを併せ持つお子さんがいます
今は一般の学校に通っているそうですが
やっぱり授業についていけない
学坦は無理解からその子を叱るばかり
この先どこに進めばいいのか・・・と
いつも元気で明るい先生がうつむき加減に話していました

この二人の先生方には障がいを抱える家族がいる・・・
そぉかぁ そぉだったのかぁ 
普段二人が見せる子供たちに対する一生懸命さには
そんな背景があったのかぁ と


それぞれ教師になったきっかけは違っても
生徒やその家族の人生に少なからず影響を与えることを考えれば
教師は責任ある仕事であること
そのことを肝に銘じて子供や家族と真摯に向き合うことが大切だといつも思っています

力量や経験値は人それぞれ違います
でもどんなに経験や力が足りなくても誠意だけは持てるんです
先生になりたての頃 子供や家族の力になれない自分が悔しくて
せめて「誠意だけは誰にも負けません」っていえる自分でいよって
よく思ってました
その思いは今も変わりません


目に見えない心のあり方を伝えることって同じ日本人同士でもすごく難しくて
さらに相手にもそれを求めるとなると・・・
できることから、変えられる部分からって思いつつも
根っこってとっても大切で

日本とは異なる土に根ざした根っこ
この土地に合った肥料がどういうものか
どのタイミングでどんな方法で蒔くといいのかと探る毎日です

きっと世界中の隊員が似たような状況にいるんだろうなぁ


生徒たちには
卒業後もたくましく社会で生活してほしい
引け目を感じる必要なんて全くない 
家族や周囲の仲間に支えられながら
自分を信じて自分を大切にして
人生を自分らしく送ってほしい
そう願っています

そして彼らの見本になりたい
それが今の私の目標です
生徒たちと作った日付カード
日付の確認を毎朝の日課にしました
発表者、ポケットに手を突っ込んでいますが生徒です
この時期エクアドルは早くもクリスマスモードです
クリスマスの飾りを制作しています
はい、みんな生徒です

2010年11月17日水曜日

日本が誇る

日本が世界に誇れるもの
各種分野の技術、食べ物、アニメ、先進トイレ・・・
などなど数え切れないほどたくさんありますね

私「ラジオ体操」もその中の一つだと思ってるんです
その効用は微々たるものかもしれませんが
日本人なら誰もが知っているこのラジオ体操
すごくありませんか?
6歳以上の日本人で一度もラジオ体操をしたことがない
または見たことがないという人を探すのはかなり難しいと思います
これだけ自国民に馴染みのある体操が他国にもあるでしょうか

かく言う私も教員採用試験の数か月前から
ラジオ体操(正確には「テレビ体操」)を毎朝の日課にし
かれこれ10年近くになりますねぇ
おかげですっかり身体が柔らかくなりました

そんなラジオ体操愛好者の私です
もちろんここでも体操しますよー
Yuo Tubeで「みんなの体操」と「ラジオ体操」をダウンロードしてね
毎朝出勤前にやっていますとも


そんな私のもとに 先日スペイン語のラジオ体操CD&DVDが届きました
これはコスタリカに派遣されていた先輩隊員が 現地の人と共同で作ったもので
エクアドル事務所の調整員の方からお借りしました

先日コーディネータの先生にラジオ体操導入のアポをとって
早速今日 CDを携え朝の集いに参上!体操のお姉さん
気分はそんな感じ
駒ケ根で教わった西川先生のあの機敏な身のこなしを思い出し
ちょっと恥ずかしくらい大胆に体操しました

どうですっ生徒の笑顔!
って尋ねたくなるほど 子供たちは楽しそうに私の動きを真似してくれました
休み時間も私のもとに「明日も体操するんでしょ」とか
あるパートの身体の動かし方を教えて!とか
つかみはOK牧場(←昔「かっつ石松」と呼ばれていたことがありますので)

やっぱ学校は楽しくなきゃいかんでしょう
ましてや4歳児から通っている学校ですよ
ま、ラジオ体操で盛り上げるにも限度はありますが・・・
でもねぇ今の学校の様子を見ていると
子供たちにとって楽しい活動ってあるのかなぁって雰囲気ですもんね
少しずつでも張りのある そんな瞬間を増やすことができればなぁって思っています

2010年11月16日火曜日

ところ変われば・・・

まずはじめに昨日載せ忘れた一枚を
オタバロの町で見かけた家族です↓
左からお母さん、娘、お父さん
典型的なオタバロスタイルの3人です



さてと、今日は腕の振り方について話したいと思います
ラタクンガ市独立記念日に向けて行進の練習をしていた時
子供にお手本をと思って 私、腕を一生懸命振って歩きました

さぁ みなさん腕を元気に振って行進してみてください

どうですか?腕をどの方向に振りましたか?
あなたが日本人ならきっと前後に振っちゃたと思います

私も何の躊躇もなく元気に前後に振って歩いていたんですね
そしたらある先生に笑われちゃいました

一瞬え!?何がおかしいの?って
そしたら先生「正しい腕の振り方はこうよ」って胸の前で左右に振るのです
確かに外国映画とかでみる軍人さん 腕をそんな風に振ってたかも

ところ変われば腕振り変わる
面白い発見でした

2010年11月15日月曜日

信じる心

金曜の晩の話です
夜8時をまわった頃
Jennyがおもむろに「ちょっと一緒に出かけよ」って私を誘ってきました

着いたのは日本で言う文化会館
入口ではピンクのスカーフを巻いたスタッフと思える女性たちが
初対面に関わらずやけに熱い抱擁であいさつしてきます
すでに会場では男性バンドグループの演奏が始まっていて盛り上がっています
男女比1:49といったところでしょうか ほとんどが女性です

男性バンダの次に現れたのは女性ボーカル二人組
風貌は小太りのおばさんでしたが実にいい声でした

ふと周りを見渡すと ほとんどの女性が目をつぶり
正面に手をかざし一緒に口ずさんでいます
そのうち会場からオエオエと嗚咽が聞こえ始め
周りにいた女性たちも涙を拭き拭き歌っているのです
私とJennyはあくびの連発で涙が止まりませんでしたが・・・

その後ピンクスカーフのスタッフ達が虫取り網風の袋つきの棒を持って座席を回り
お金を徴収し始めました
私は無一文だったのでペこっと笑顔でかわしました

しかし今回のメインはその後に登場したアメリカ人女性
Jennyいわくとっても有名な人らしく
一部の女性達には教祖的な存在だそうです

そう、会場に居た女性たちは
目に見えない力を信じる人たちの集まりだったんですね

Jennyは私と一緒にあくびをしてたくらいなので
その一味ではなかったのですが
一度話を聞いてみたかったそうです

その女性アメリカ人なので英語で話します
なので通訳者がスペイン語に通訳するのですが
私にとってはどっちも外国語でしょ
頭が混乱して集中力が続かずそのうち居眠りしちゃってました
Jennyも「彼女がどんなことを話すのかは大体わかったからもういい」って
で、話も半ばに帰ってきた私たちです

結局私は観客観察と居眠りしにそこ行ったと言えます・・・


世界には様々な宗教や宗派が存在し
多くの人々はそれぞれの神と考えを信じて生きているわけですが
それほど信仰心の強くない家(と自分では思っていますが)に育った私にとっては
その感覚がピンとこないところがあるのも事実で・・

ただ、宗教心や信仰心は道徳心を身につけるうえでとっても大切なものだと思います
きっと人間以外の動物にはない人間ならではの「心」ですね

Otavalo(おたばろ)

昨日は片道バスで4時間半のところにあるOtavaloという町に行ってきました
今回の旅の目的は毎週土曜に開かれるオタバロ市
オタバロ市と言えば国内はもとより
国外からもバイヤーが買い付けに来るほど有名な民族雑貨市で
オタバロ族や周辺に住むユンボ族やカラ族といった人々が作った
織物や木彫り、革製品、アクセサリー、絵画、楽器、民族衣装などを売る店が
何百件も軒を連ねます

家族いわくオタバロ人はアーティスタで
工芸品だけでなく音楽、絵画と芸術に長けているとか
オタバロ市をのぞくとその言葉に深く頷けますよ

奥:毛糸で編まれた壁掛け
常設された店舗は、大方工房も併せ持ち
制作風景も観ることができました
ちなみに子供は宿題をやっています
織物類は種類が豊富で目移りしちゃます
地域、制作者ごとにそれぞれ特徴があって実に面白い
市の一角からはオタバロ楽器の演奏が聴こえてきます

上の写真の奥にはオタバロ衣装を身にまとった女性が見えます
黒のロングスカートに花の刺繍が入った白のブラウス
これが伝統的なオタバロ衣装です
そしてオタバロ男性は長く伸ばした髪を三つ編みし、帽子というのがオタバロスタイル
エクアドル国内でも民族ごとに衣装や装飾品に違いがあって興味深いですね

ちなみに私は
絵、置物、ピアス、ブレスレットを購入し大満足
今回は朝5時半に家を出て帰ってきたのは夜10時
強行日帰り旅行でしたが 存分に楽しんた一日でした

2010年11月13日土曜日

Desfile(行進)parte2

昨日11月11日はラタクンガの独立記念日Independencia de Latacunga
前日は小学生に相当する子供たちが愛らしい姿で町を行進し
記念日当日は中学生から高校生に相当する青少年が
堂々とした姿で町を行進しました

この日は公共の学校や施設はお休みとなり私も見に行きました
前走は警察隊 ↑こちら女性警察官(または女性警察官の卵)
中高生の鼓笛隊
女子学生!?はとってもセクシーでキュートでした
こんな日はここぞとばかりにこんな人たも・・
日本とはちょっと違う売り子の様子も紹介しましょ
さてこれは何でしょう
答:「Algodon(綿) de azucar(砂糖)」
そう、舌がピンクになる綿あめです

さてこれは?ヒントはおじさん
答:「cuero de chancho」
ブタの皮を揚げたお菓子だよ
ポテチとソラマメの揚げたお菓子が定番
ちなみにポテチはケチャップorマヨ付きです
飴やガムはかごに入れて一つ5セントから
煙草も一本単位で販売しまぁす
これもブタの皮のから揚げ
みんなバリバリっ食ってます
※おばさんの鼻ちょうちん
拡大してご覧ください


気付けば独立記念日というよりも
売り子メインになってしましましたね・・・

2010年11月11日木曜日

Desfile(行進)

明日はわが町ラタクンガの独立記念日です
それに合わせて今日と明日の2日間
市内の学校が町を行進します
これをDesfileと呼んでいます

私の学校も2週間ほど前から毎日その練習があって
今日がその本番でした
縦横の列を合わせながらただ行進するだけなんですが
子供たちにとっては以外と難しんですよね
だから全員参加ではなくて
「一人でまっすぐ歩ける生徒」が参加条件でした
とは言っても要所要所に先生が入って
なぜか私は校長先生とコーディネーターの先生(トップ2)と最後尾で歩きました

ということは私はトップ3!?


子供たちは道路脇を埋め尽くす観衆に笑顔で手を振り 
時には抱きつき(←子供なので許されました)
うちの学校の子供らしく嬉しそうに歩く後ろ姿が印象的でした

子供たちに拍手をくれる人たちもたくさんいて
そういう子供たちの姿を市民にしってもらえるだけでも
意義ある時間だったのかなぁって思いました


写真を撮りたかったけど
行進中はトップ3として常に背筋を伸ばして歩いていたので
もちろん撮れませんでした・・・

2010年11月10日水曜日

ちょと情けない日記

今日の休み時間
小さな子供たちが遊具をめぐって乱闘になりました
そばにいた私は「10数えて交代ルール」を教えようとしたのですが
いったんはその流れに乗っかったものの
その後再び騒ぎを聞きつけた子供たちがさらに集まり
野球の乱闘シーンみたいに収集がつかなくなってしまいました

近くには私以外の先生が3人いました
一人は保護者と話をしながらこちらを見ていました
他の二人はすぐそばに居ながらあきらめ顔で傍観していました
私ひとりでは収集がつかなくなっているのに
全く手助けに来てくれなかったので
ルールの説明がうまくできないから子供たちに説明してくれと
暴れる子供たちを必死に押さえながら他の先生にお願いしました
で、やっと若い先生が中に入ってくれたのですが
そこであえなくチャイムが鳴り
子供たちただただ泣きながら
遊び方を学ぶことなく休み時間が終わってしまいました

その後先生方に「どうして見てるだけだったの?」って聞きたかった・・・
なのに聞けなくて 悔しさとむなしさだけが残って

少し頭が冷えたころ
「どうして?」って疑問詞ではなくて
「子供にルールを教えよう」って提案の形で話をすればよかったんじゃない?って
一人反省しました

でも素直に
傍観していた心理を知りたかったなぁ
私のやり方を見たかったのか
単に「どうにかしよう」という気持ちが起きなかったのか
はたまた他に理由があったのか




ちょっと疲れた今日でした

2010年11月9日火曜日

本物どら焼き

いつだったか「似非どら」のタイトルで投稿しましたが
今回は「本物」です

先日日本から届いた救援物資の中に
我が家の子供たちのためにとリクエストしたどら焼き10個も
2キロ以内という重量制限があるの中
しっかりと重さを稼いでくれていました

10個の内訳を悩んだ挙句
5個は家族に
残り5個は職場の同僚に食べてもらうことにしました

家族には着いたその日に渡すと
目の前で争奪戦が始まり
相変わらず大人気のどら焼きでした


そして今日 
賞味期限が一週間ほど過ぎてしまったどら達を職場に持っていき 
ひとつを4等分に切り分け
職員に味見程度のおすそ分けをしたところみんな大喜び
ここでもまたどら焼きは大人気でした

正直丸まんま1個をほおばりたかった私ですが
食べたときのみんなの笑顔を見ると
どら焼きの無限の可能性を感じ
それだけでお腹いっぱいになりました

ありがとうどら焼き
ありがとうしょうちゃん

2010年11月7日日曜日

La Mama Negra 2010

昨日11月6日 土曜日
ラタクンガ市最大のお祭りMama Negra(ままねぐら)が開催されました

今日のために国内から集まったJICA隊員10名は
SC後藤さんが勤める病院の院長先生の伝手で
とある団体に入れてもらうことになり
病院から借りた衣装を身にまとい
市民に混じって町を行進したのでありました

昨日は天気が良く最高の祭り日和
ママネグラと言ったら「国中の酔っ払いが集まる祭り」としても知られており
私も参加することを家族や同僚に話すと
みんな口をそろえて「飲み過ぎないように」「泥棒に気をつけろ」
とこの二つのフレーズを繰り返すのでした

歩道を埋め尽くす観衆に飴をばらまき 
酒を飲ませ約3時間
「Viva Latacunga!(万歳ラタクンガ)!」
「Viva Japon!(万歳日本)!」が耳に焼きつき
最終地点に着くころにはへとへとのへろへろでした

この日は本当に町中酔っ払いにあふれ
帰り道は10歩の間隔で立ち小便する男を見かけ
町中が酒とアンモニアの臭いに包まれていました

我々10名は誰一人犯罪被害にあわず
楽しいひと秋の思い出を残した一日となりました

JICA隊員のみなさん
色とりどりの衣装が可愛い☆

小さい子供も衣装を着飾って参加していました
「一緒に写真をとってください!」
って何度も言われるほど大人気の私たちでした


この王様が率いるグループに入れてもらいました
ちっこくてマリオみたいでした

肝心のママネグラ(黒いお母さん)の写真がなくてあしからず・・・

2010年11月6日土曜日

予定は未定

この国に来てから
事前に聞かされた予定通りに事が進んだことの方が少ないでしょう
ここでは「予定はあくまでも未定である」ということを決して忘れてはいけないのです

今の時代 どの発展途上国でも携帯電話は普及し
着る物よりも携帯電話
あるときは食べる物よりも携帯電話と
その優先順位はかなり上位の方だと思われます
実際 配属先の入学手続きの際に記入してもらう電話番号の欄には
約90%が携帯電話の番号です

今でこそ「ちょっと遅れるねぇ」ってリアルタイムで簡単に連絡がとれるけど
一昔前はそれもできなかったと思うと
こっちの人たちは本当に気が長いというか おおらかというか
確かにみんな平気で1、2時間待ちますもんね
そして私も不思議とこの国では待てますし

物理的な時間の長さはもちろん世界中どこでも同じですが
時間の質というか 時間と人の関係性みたいなものは
場所によって(人によって)違うような気がします
もしかしたら今ここでしか感じられない時の流れを感じながら
毎日生活しているのかもしれませんね

今日もごく当たり前に約束事が流れ
ちゃんちゃん♪って感じの一日でした

1年半後
たいていの状況は笑って受け入れられる
大らかな自分になってたらいいなぁ

2010年11月4日木曜日

Simiatug(しみあとぅ)

昨日はSVの後藤さんと念願の刺繍の町Simiatugに行ってきました
家から4時間 バスをふたつ乗り継いでようやく着いたその町は
山に囲まれた ほんと何にもない小さな町でした

そこに行くまでの道がこれまたすごかった
急な山肌に彫刻刀で溝をつけましたって感じの
舗装されていないガタガタ道
日光のいろは坂なんて子ど向けの遊園地に感じちゃいます
そんな道を満員のバスの通路で倒れないように踏ん張り立って2時間半

でも窓の外には息をのむ雄大な景色が広がっていました
踏ん張りながらも胸が高鳴っていました
それは目指す町に対してというよりも
今見えている景色そのものへの興奮でした
初めて登る山で出会う雄大な自然を前にしたときの
あの胸がいっぱいになる感じ

そして自然の厳しさと恩恵を
日々身近に感じながら暮らす人々がそこにいる
同じエクアドルにありながら
普段私が生活している町とは流れている時間や空気が違うような
そんな気さえする光景が広がっていました

いくつもの峠を越えてようやくSimiatugに着くと
数えるほどしかない家や商店の玄関はことごとく閉まっていて
そう。。。お目当ての手工芸ショップも
はっきり言って墓参りの人たちしかいませんでした
そういえば今日は日本でいうお盆でした・・・

小一時間ほど小さな町をうろついたでしょうか
あっという間に町を制覇しちゃいました
再びショップに戻ると隣の建物に人影が 
そこにいた男性に手工芸品を買いに来たことを伝えると
ショップの人に電話をしてくれ 待つこと1時間
インディヘナのお姉さんがバイクの後ろに乗せられて登場
かくしてめでたく獲物にありつけた私たちでした
町はこれで全部です
人はこれで全部です
・・・うそです
全ての用事が済んだのは午後2時半
帰りのバスは5時までないと聞かされ茫然と立ちつくす私たち
この町でできる暇つぶし・・・
ボーっとしながらバスを待ちました
バスを待っていると見る見るうちに雲が下がってきて
今にも町が雲に覆われそう
そのうちボーっとできなくなるほど寒くなってきました
ようやく5時半ごろ着いたバスに乗り込むと
今度は乗客を乗せたままタイヤ交換が始まりました

雲と闇の中、朝来たあの崖道を
適当と思えるタイヤ交換したばかりのバスが走ると思うと
その状況に少々おびえながら
「どうか無事にたどり着きますように・・・」と祈るようにバスに揺られました
時折椅子の上でジャンプしかけるほどの揺れを感じながら一時間ほど走ったころ
「ぶっしゅー ぶっしゅ ぶっしゅ」と前方から嫌な音が・・・
げ。。。パンク?
はい真っ暗闇の山奥でパンクでした
交換したタイヤとは別のタイヤでしたが
バスはスペアタイヤを持っていなかったようで
後ろにいたトラックからスペアタイヤを借りていました
好奇心から私も降りてタイヤ交換の一部始終を見届けました

ここでまたしても「知らぬが仏」のフレーズが↓


これがパンクしたタイヤ
はずされたパンクタイヤには「溝」があったという痕跡が全くないほど
つるっつるでした
まじ つるっつる の つるっつる!
30年以上生きてきて初めて見ました こんなタイヤ
タイヤの常識を覆すタイヤです
「タイヤ」と呼んではいけない気がします
これは恐ろしいです
雨の日のこいつ。。。
想像するだけで身の毛もよだちます


溝が残っているスペアタイヤが頼もしく見えます
 そんなこんなで予定よりもだいぶ遅い帰宅となってしまいましたが
何はともあれ命が無事でよかったぁ

行きの景色を見たときにはChonちゃんやあじちゃんを連れてきたいなぁって思いましたが
帰りのタイヤを見たときにはその考えを改めました
刺繍の町で買った小物(一部)
子供の部屋に置きたいです(まだいませんが)
あっという間の5連休
明日からまた学校ですが
祭りムードはまだまだ続くとさ

オリエンテparte2

Banosの次に行ったのが 
バスで北東2時間ほどのところにあるPuyoという町
ボランティアが2人いる町ですが
2人ともあいにく旅行中でした

Puyoに着くと「あぁこの湿度 久しぶりぃ」と
思わず目を細めて鼻の穴から空気を胸いっぱい吸い
Terminalのベンチに腰掛けながらしばし今日の計画を立てました

最初の目的地は鳥や昆虫の博物館が併設し
200種類の蘭があるという植物園
市内バスを待ってたおばさんに大方の方向を尋ね
客引きするバスの乗務員に目的地を伝えると近くまで行くと言うのですぐさま乗り込み 
近くなったら知らせてくれるようお願いしました

30分ほど走って下されたのは何にもない道の真ん中・・・
「バス代とられなかったし  これ絶対間違ってる」   
って思いながらとぼとぼ遠くに見える家屋を目指して来た道を戻りました
そこのおばさんにもう一度植物園の場所を尋ねると
やっぱ全然違いました

今度はそこからタクシーを拾ってダイレクトに植物園に運んでもらいました
植物園に着いたら門が閉まっていて・・・
お休みでした♪
といわけで仕方なく次の目的地 薬草の植物園を目指しました

園内にはアマゾン地方で伝統的な生活を送る
シュアル族(干し首で有名?)の家を再現した建物もあり
約2時間 ガイドさんの説明を聞きながら園内を回りました
真ん中:ガイドさん
他のお客さんも10名ほど一緒でした
通称「サルのしっぽ」と呼ばれるシダ科の植物
これ自体成人の腕ほどの大きさがあり
伸びると屋根より高い植物に生長します
通称「歩く木」
今にも歩きだしそうな足が何本も生えています
外皮を剥ぐと小さなつのつのがみっちり
大根おろし器のように食事の下ごしらえの道具としても使われるそうです
シュアル族の家でその暮らしの様子について話を聞きました
空中にまってる白いのは雪じゃないですよ。灰です
Puyoと言えばこれか芋虫
ティラピアという川魚をマイトと言う葉っぱで包み炭で焼いていました
白いのはユカという山芋似のお芋です

Puyoで食べられる珍しいものでは
チョンタクロという木に住む芋虫や大蟻やアルマジロだそうですが
今回は一人だったので おとなしくお魚だけにしておきました
ちなみにレストランのおばさんに「芋虫ありますか?」って聞いたら
「今は3匹だけ」って言って
元気に動く芋団子虫三兄弟を見せてくれました
これを食べると思ったらビビって「結構です」って言ってしまいました

久々の魚を一尾たいらげお腹一杯になったら
もう家に帰りたくなっちゃいました

エクアドルの新たな一面を感じた二日間
やっぱり旅は心を浄化しますね
次回は鳥の楽園「ミンド」に行きたいなぁって思ってます☆

2010年11月2日火曜日

オリエンテ

エクアドルは中央を縦断するアンデス山脈をはさんで
太平洋沿岸地帯を「コスタ」
東側のアマゾン源流域へ続く森林地帯を「オリエンテ」
そして、私が住んでいる山脈地帯を「シエラ」と呼んでいます

エクアドルに来て最初の一カ月を過ごしたクエンカもシエラ
JICA事務所がある首都のキトもシエラ
そして私の住む町ラタクンガも
ということは この4カ月ほぼ同じ経度上を移動しただけで
コスタもオリエンテも未だ未知の世界でした

そんなわけで
このお休みはオリエンテ方面へ旅してきました

この3地域(厳密には+ガラパゴス諸島で4地域)は気候も人種も食べ物も異なり
小さな国ながらその表情の豊かさに驚かされます

オリエンテの標高は約500メートルから1000メートルで熱帯雨林気候
熱帯雨林地方という地形のせいもあって他の地域に比べてインフラ整備が遅れているとか
ジャングルの奥地へ行くと 裸族が昔ながらの生活を営んでいるというのも納得できる雰囲気でした

今回私が旅先に選んだのはBanos(ばーにょす)とPuyo(ぷーよ)

Banosは「温泉」という意味
活火山から湧き出た温泉をつかった浴場(温水プールみたいね)が点在していて
観光地にもなっています
ラタクンガからはバスを乗り継ぎ3時間ほどで着きました
バス停近くのツアー会社で滝めぐりツアーに申し込み
約4時間の滝ツアーに参加しました
こんなバスで30人ほど
途中からバス天井の座席に移動して
ツアー中で一番楽しかった瞬間

タラビータという乗り物で谷間を縦断
1ドルの安全性は疑わしいけど、楽しかったぁ
タラビータを下からみるとこんな感じ
かなり高いでしょ
滝つぼで泳ぐ人たちも
私は水着がなかったので見学のみ
道中、日本を思い出させるコスモスや
実家を思い出させるアジサイも
今回のツアー料金は5ドルで
4時間という時間をみれば格安感を感じますが
タラビータに乗るにも滝つぼコースに入るにもいちいち別料金が必要で
うまいこと商売してるなーって思いました
それでも日本に比べたら何事も安くて 十分楽しんだ4時間でした
町のいたるところでmelcocha(めるこちゃ)という飴を実演販売しています
素朴な味が私好みです

町のシンボル 石造りの教会です
手作りのアクセサリーや一品モノの鞄など可愛い小物がいっぱい
ランニングシャツが心地い気候も気入りました
ばーにょす万歳!
また行こっと


明日はPUYO編をお楽しみに