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2010年12月31日金曜日

al fin de 2010

ついに2010年も残すところ今日一日
日本の皆さまはあと数時間で新年ですね

私にとっての2010年は
人生の中で最も心が振動した一年だったように思います
日々色んなことを感じ自問自答する毎日でした

また、今ある自分が皆様に支えられていることを様々な折に感じる
生かされていることに感謝する一年でもありました


2010年に何か言葉を残すとすれば
迷わず「感謝」の言葉を


「かわいかおり」というひとりの人間を知り
優しく応援してくださっている世界中の皆さま
あなたの存在に支えられて
2010年も私は毎日笑うことができました
こころからありがとう


そんな皆さまが
それぞれの場所で大切な人と共に
心穏やかで温かな新年を迎えられますよう
遠くエクアドルから祈っております

大晦日の朝7時
雲ひとつないエクアドルの空の下から かおり

鳥の楽園MINDO

2010年最後の旅は
鳥の楽園として知られているMindo(ミンド)へ
我が家の長男と1泊2日の日程で行ってきました

鳥の楽園というくらいなので一番の目的はもちろんバードウォッチングだったのですが
長男と一緒だったことやガイド料金の都合から
今回バードウォッチングは見送り、次回のお楽しみにして
ネイチャーなアトラクションを楽しんできました

まずはCanopy
谷間を渡すケーブルに吊され前進!
鳥になった気持ちで恐怖感は0でした

続いてターザン
人生初のバンジー系
思ったよりも怖くなく快感でした

翌日はゴムチューブでの川下りも体験し
バードウォッチング以外はミンドでのアトラクションを大方体験したという感じです

改めて気がつきました
私ゾクゾクするのが好きみたいです


また、ミンドでは多くのハチドリをみることができ
私も体長10センチほどの可愛いハチドリが
羽を超高速で羽ばたかせながら蜜を吸う姿を真近で見ることができ
それはそれは何とも愛らしい姿でした

川下りを終え 帰りのバスが出るまでの時間に食べたピザが最高
シェフの笑顔も最高!
お腹も心も満たされた楽しい旅となりました

ハチドリ
本当に可愛かった
ともすると怪し気な笑み・・・
疑ってごめんなさい
人生5本の指に入るおいしいピザでした!

2010年12月28日火曜日

旅立ち

先輩隊員の末松君がついさっき任地のラタクンガから去って行った
2年の活動を終えた彼が 首都へ向かうバスの中で心に思うもの
今の私にはまだ想像できないが
旅立ち際に「この2年間色んなことを考えさせられた」とつぶやいたその言葉
短い言葉ではとても要約しきれない様々な思いが心をめぐっているだろう

雨粒と涙でキラキラ揺れる彼の後ろ姿
日本からエクアドルへ旅立った時のように
今度はエクアドルから日本へと
新たな歩みを始めようとする末松君が格好よく見えた

日本から遠く離れた地球の裏側で
くつかの出来事や思いを共有できたこと
ありがたく思っています

いつかまたどこかで再会し
エクアドルでの思い出話を懐かしくする日が訪れることを願って

また逢う日までお元気で☆末松君たくさんたくさんありがとう

2010年12月27日月曜日

Despedida(送別会)

ラタクンガ隊員の一人末松隊員が間もなく2年間の活動を終え
あと一週間で帰国します
私よりも八つも年下ながらとっても面倒見がよく
私がラタクンガに来てからというもの、色々なところへ連れて行ってくれたり
色々なことを教えてくれたり
時にはロールキャベツやコロッケを作ってくれたり
どれも楽しい思い出ばかりです

今日は末松君の送別会と称して
3人で隣県のバーニョスへ日帰り旅行してきました
バーニョス(温泉)はその名の通り「温泉の町」
とは言っても、濁ったプールに芋荒い状態で浸かるという状態です
滝も多く、前回は滝ツアーに参加しました
覚えていますか?
これはカーニャと呼ばれる、いわばサトウキビのようなもの
そのまま咬んで吸ったり、ジュースにして飲んだり
同じような店が何十件も並んでいます
買い物を楽しんだ後、街を一望できる山の上にあるカフェで
四方を山に囲まれ、温泉の町らしい風景です
最高のシチュエーションでイチゴクレープとカフェラテ
今度はここから夜景が見たいなぁ
たった3人しかいないラタクンガ隊員
これからは後藤さんと2人
3カ月後には後藤さんも帰国です
やはり別れは寂しいなぁ

2010年12月26日日曜日

無言の訴え

日本のお正月に
お年玉をもらった子供たちが親と街へ買い物に行くように
今日は家族やおばあちゃんと隣の県まで買い物に行ってきました

車で1時間ほど走ったところにあるその街は
若者向けのジーンズや洋服を安くそろえる店舗が軒を並べ
クリスマスならではの人混みができていました

この国に来てからというもの
洋服よりもまず先にマネキンチェックをするようになった私
今日もいくつかのマネキンに軽いジャブをくらってきました
左目 どこかにぶつけたの?
上着 ちょっと短くない?
スキンヘッドで客にアッカンベーは
感じ悪いでしょう
このセンス、是非拡大して見てほしい
かなり顔色が悪くなってます
誰か早く服を着せてあげて~
他にも

無理やりジーパン二枚重ね(二枚目は膝まで)
↑たくさんのジーパンを紹介したい気持ちはわかりますが・・・
頭なし(目から上カット)マネキン
↑それでも帽子をかぶせるのはどうかと・・・
スピードスケートの清水選手がサンタクロースの服装でスタートする瞬間のようなマネキン
↑想像できますか?写真撮らなかったのをものすごく後悔・・・


とか。結局私はひとつも買い物せずに マネキン観賞を存分に楽しんだ一日でした

願います。世界の「Feliz Navidad」

スペイン語では「メリークリスマス」を「フェリース ナビダッ」と言います
昨晩イブから日付が変わった瞬間「Feliz Navidad!」と言いながら家族と抱擁
七面鳥で締めくくられたクリスマスはようやく終焉を迎えたのでした

ビンゴ大会
プレゼント交換
今回たくさんの人から日本でのクリスマスについて質問されました
私自身キリスト教ではないのでその意味について深く考えたこともなく
ただなんとなく「キリストの誕生日なんだよね」って程度で
クリスマス=鶏肉とケーキを食べて子供はプレゼントをもらう日 でした

今回、国民の80%以上がカトリック教徒のエクアドルで過ごしたクリスマス
少し宗教的な側面からクリスマスについて考える機会となりました


そして
先日の障がい者オリンピックの時にも思ったことですが
華やかな舞台からは見えない場所で
物理的に恵まれない、または心身に多くの傷を持った家族や子供たちがいること
その存在を私たちは知る必要があると

昨晩我が家で食事の準備と後片付けをし
夜が明けてから帰宅した25歳の彼女
5歳の子供と両親との生活
大切な一日を家族と過ごさずひたすら働き
我が家の華やかなクリスマス会を横目に
何を感じて帰って行ったのか


この国で強く感じる貧富の格差
華やかな場面に出くわす度にその現実が頭をよぎり
心の底から楽しめない自分がいます


ここ最近心につかえる「当たり前」という言葉
少し時間をかけて自分なりにその意味を解釈できればと思っています

2010年12月24日金曜日

続クリスマス

もういくつ寝るとクリスマスが終わるかな。。。
子供たちにとっては特別ハッピーなクリスマス
でも私にとってはここ一週間
来る日も来る日も食べて踊って、その後始末をして
質素な日々が恋しくなってきましたよ

今日は学校でのクリスマス会4日目
県の障害者連盟(?)のクリスマス会で
本校の通学生以外の子も来ていました


そして今日食べたのはこれ

これがまたおいしいんです
鳥に飽きた私、恐ろしいことにブタはいけました
エクアドルに来てからのコレステロール摂取量。。。恐ろしかぁ
実家の石狩では昨晩手巻き寿司だったというから
いっそ私も海苔に巻かれて醤油をつけてほしくらいです

2010年12月23日木曜日

さすがに・・・

疲れてきましたクリスマス

最近は毎日6時ごろまで学校でリリさんのお手伝いをして
帰ったら親戚の家へ行きクリスマス会
帰宅は12時近くなり ほっとする気分を味わう間もなく就寝

学校での行事も今日が最後
(出校日は火曜日まででしたが、その他のクリスマス会は続いているのです。。。)
今日もまさしくボランティアしてきます

連日連夜の鶏肉と油の組み合わせ
昨日は一日に3食鶏肉のかたまりでした
クリスマスが早く終わってほしいと思ったのは初めてです

2010年12月22日水曜日

クリスマス

今日は今年最後の出校日
本校はミサで一年を締めくくりました

生徒とその保護者が集まり
司祭さんも来て
私にとっては初めての経験でした

子供たちは最後に飴やチョコレートがぎっしり詰まった袋とクリスマスプレゼントをもらい
クラスによってはちょっとしたクリスマス会をして
「よいお年を」「幸せなクリスマスを」などと言ってお別れしました

ミサの中で大切な役を担当した子供たち
それぞれ仮装して可愛かったなぁ

ミサの最後は薔薇の花弁をまきながら
校舎の周りをみんなで歩きました
別の日のクリスマス会
プレゼントを持ってはいチーズ☆
クリスマスの象徴のような「funda de caramelos(飴袋)」
この時期、どこでも子供たちに配られています

ここでのクリスマスは日本でのお正月のように
家族や親せきと一緒に過ごし
自身の内面や日ごろの生活態度を振り返る
一年でも一番大切な行事のようです

私も連日連夜親戚の家を訪れ儀礼をし
鶏肉や七面鳥をたらふく食べています
正直もう鳥はいりません・・・

先日は我が家が会場となり
鳥の空揚げ(もちろんしょうゆ味)を作って出しました
これがまた評判よく
北海道民は「ザンギ」と呼ぶこの食べ物
地球の裏側でもその人気は健在でした

2010年12月21日火曜日

OLIMPIADAS ESPECIALES

幅跳び
期間の中日は特別行事?
山で植木をしたあとは遊園地で一日遊びました

はい 植木を運んでいるところ
これ、結構重かったぁ
「Gordito(小太り君)」と呼ばれているMigel君
多くは日ごろ運動不足の生徒たち
翌日には「あちこ痛い」と訴えていました

先週のオリンピックでとった写真の数430枚以上
アップするのに時間がかかって投稿がもたついてしまいました
動画も含めて全部お見せしたいところですが  うん無理
ほんの一部だけですがオリンピックの雰囲気をお楽しみください
※本当は時系列に写真を並べたかったけどうまくいかず・・あしからず

開会式
各県(州)からの競技者たちが世界オリンピックばりに入場
なんと国内では生中継!
毎朝5時に起床
雲海から昇る朝日をみながら競技場へ向かいました
ウェアー2セット、インナー2セットが支給されました
コトパクシ県のシンボルカラーは紺と赤です

2010年12月17日金曜日

帰ってきました

ただいまぁ

6日日間の障がい者オリンピックが無事終わり
外泊最長記録更新
6日ぶりの我が家であります

この間 警察学校の宿舎のような場所で6泊7日
二段ベットとロッカーだけががずらりと並ぶ空間に
36名の生徒と 私を含めて7人の職員が寝泊まりしました

一緒にオリンピックに引率していた長男が私のSDカードを持って外出中
(※今日から9日間に及ぶ我が親戚のクリスマスパーティーが始まり
私は疲れているので参加免除、只今一人留守番中です)
写真はあす以降のブログで添付したいと思います


感想は  
一言では難しいなぁ
オリンピックという舞台の華やかさの影にあるもの・・・
色々と感じる事があった6日間でしたね
今現在はまだ消化不良って感じです

明日はまた学校でクリスマス行事があるそうです
連日行事が目白押し
テンション下げて。。あ。。上げて頑張りますかぁ

はい
正直へとへとであります

それでは皆様
また明日

2010年12月9日木曜日

Manta号 ようやく最終章

筋肉痛の痛みを全身に感じながら目覚めた日曜
みんなで浜辺の朝市に出かけました


さすが海の町マンタ
サバやイワシ、マグロ、貝類など日本でも見ることができるものもあれば
コブがあったり妙に薄っぺらだったり よくわからない魚介類もたくさんあり
こんな時はお父さんを連れて来て
存分に講釈を聞かせてほしいものだと思いました
手前はキンキのようにも見えます
奥のはホッケのようにも見えました
どうでしょうお父さん
カツオにも見えますがマグロでした
これを1キロ買ってみんなで食べました
お父さんこれは何ですか?
顔はカットされていて見れませんでした
体調は人より少し大きいくらいかなぁ
水色の毛みたいなうろこでした
ゆっくり朝市を見学したあと
近くに牡蠣のおいしい食堂があるということで
みんなで念願の牡蠣を食べに行きました

私たちが頼んだのは生ガキのレモン和え4皿と生ガキのセビッチェ5皿
一皿に4個の牡蠣が入っているというから
単純に計算しても合計36個の牡蠣ですよ
店にはお兄さんが一人
私たちの注文を受けた後 36個分の牡蠣を額に汗しながら開いてくれました

ここの牡蠣はものすっごく大きくて驚きました
日本の牡蠣は一般的に細長い形ですが
ここのはまん丸っこくて丁度手のひらくらいの大きさでした
手のひらサイズの大きな牡蠣でした
まな板周辺に散らばっているのは別の貝です
一見赤貝のようにも見えます
手前が生牡蠣のレモン汁和え
右奥が生牡蠣のセビッチェ(レモンスープ見たいな感じ)
左奥が市場で買ったマグロ(魚屋の娘ということで私が刺身にしました)
こうして海の幸を思い残すことなく堪能したシエラ(アンデス)の私たちでした


その後パナマ帽発祥の地としても知られているモンテクリスティーという町へ足をのばし
天皇陛下が持っている帽子を作ったという老舗を訪れました
これまでクエンカをはじめ いくつかの場所でパナマ帽を見てきましたが
ここのは手触りがまるで違い 草でできているとは思えないほどしなやかさでした
聞くところによると自然の材料を使うので 出来上がりが湿度や気温に左右されるとか
だからここの親父さんは条件の整う夜明けの2時間だけ作業をするそうです
職人ならではのこだわりです

私たちが着いた時も店は締まっており
道を聞いた近所のおじさんがお店の人に電話してくれ
待つこと5分 お店のおばさん登場
安いものでも60ドル(約5000円)
一番高いものだと800ドル(約65000円)の帽子もありました
私たちは一通りの帽子でファッションショーをした後
それぞれ気に入った高級パナマ帽を購入したのでした

一見無愛想なおばちゃんですが
今日だけでも相当な売り上げですもん
上機嫌でたくさんのおまけを付けてくれました
ここの帽子はくるくる丸めて箱に入れることができるほどしなやかで
二本のリボンと一緒に木箱に入れて持たせてくれました
ちなみに私の帽子についているのは 馬の尻尾の毛を編んで作ったリボンです

こうしてマンタ滞在は満腹満足
昼過ぎそれぞれの帰路へとついたのでした

ここからキトまでは長距離バスの旅
前回のタイヤパンク事件も記憶に新しかったので
何もないことを祈りながら乗車していると・・・・
5時間ほど経った頃 スカッスカッ ス~
とエンジン音が力なく弱まっていくのがわかりました
間もなくバスは緊急停車し
ここの人たち得意の「5分休憩」←これ絶対5分じゃ済まないんですよね
すぐさま添乗していた機械整備士風の男性が車体の下にもぐって修理作業開始
これじゃぁ深夜の到着になりかねないと JICAの調整員に電話連絡すると
近くの町でホテルを見つけて泊まりなさいとの指示が出されました
結局作業は30分もしないうちに完了し バスは再び調子を戻したのですが
安全を期して その後サントドミンゴという町で途中下車し予定外の一泊となったのでした

色んなことがあったこの週末
そろそろ話題を締めくくりましょう

翌日の月曜日 せっかくサントドミンゴに来たのだからと
赤いお皿のような髪で知られるサチラスという部族の集落に行きました
その日は平日で子供は学校 男性は遠い街に働きに。。
部族のシンボルである赤い髪の男性に出会うことはできませんでしたが
そこでの暮らしの様子や伝統について説明を聞くことができました

女性はカラフルな巻きスカートがシンボルです
後藤さんノートを片手にしっかり説明を聞いています
こんな風にスカートを織ります
でも、この幅はマフラーですね


なんだかんだと盛りだくさんの4日間
落ち込んでいた気持ちもみなさんのおかげで和らぎ
また頑張る気力がわいてきました

が、ホッとする間もなく 
今週末から障がい者全国オリンピック大会がキトで行われ
私も本校の児童生徒の引率者として参加してきます
ということで
金曜からまたしても遠征で~す
戻ってくるのは一週間後の木曜日
しばしのお別れ Chao!

2010年12月8日水曜日

空手大会 en Manta

金曜の夕方
初のコスタ(太平洋岸地域)となるマンタへ上陸し
宿泊場所となるホテルのプールサイドですぐさまよさこいの練習となりました

あ。。。なぜマンタに来てよさこいを踊るのか
説明していませんでしたっけ?

実はまたしても日本文化紹介をお手伝いすることになったのです
前回は剣道大会にコラボする形でしたが
今回は空手大会にコラボです

日本文化紹介の内容は前回とほぼ同じでしたが
今回は開会式でよさこいを踊ることになっていたのです

限られた参加人数で
必然的によさこいも踊ることになってしまった私で
これがまた予想以上にハードでした
先輩隊員の末松師匠から直々に教わった時間は正味2時間弱
それ以外はYou  Tubeで南中ソーランをダウンロードして自主練に励む毎日でした

メンバーは7名
当日も朝練で踊りの最終確認をし
マラソン大会や発表会の前のあの緊張感を久々に感じながら会場入りしました






大きな体育館が会場
試合と同じフロアで文化紹介
いいのかなぁ・・・
折り紙コーナー
後藤さんはどこでも大人気です
浴衣の着付けコ-ナ-
これが空手なんだぁ  と
正直ピンときませんでしたが・・・
開会式でのオープニングセレモニーが初舞台
緊張のせいで振りもすっ飛びちょこちょこ間違えてしまいましたが
最後には会場から大きな拍手をもらい
何とも言えない快感と成就感を感じました

踊りの後はふらふらがくがくの足でゆかたの着付けにまわり
午後4時半ころまでくるくる帯を巻きました

よさこいはアンコールがかかり
閉会式でも再び踊ることに。。。
すでに疲れはピークに達していたものの
なんとか二度目の舞台も気力で踊りきることができました

夜は大会の後援会長(?)の井上さんという方に
お腹いっぱい海の幸をごちそうに
暑い所での労働後のビールのおいしさといったら
最高ですね


真っすぐに延びる夕暮れ時の海岸線
トラックの荷台に乗って潮風を全身で浴びると
昔バイクで青森や北海道の海岸を走った時のことを懐かしく思い出しました



穏やかな砂浜を左手に
トラックの荷台から

2010年12月7日火曜日

まずは金曜の出来事

こんにちは
数日ぶりの更新です
この間 皆様はいかがお過ごしでしたか?

私はというと
ネガティブな投稿をした木曜から一変
ご心配おかけして申し訳ありませんでした
充実した4日間を過ごしていました
そんな4日間の出来事を少しずつ紹介しますね


まずは金曜日
先日も書きましたが「国際障がい者デー」でした
ラタクンガでも市内の障がい者団体が街頭で
それぞれに活動紹介を兼ねた制作物の販売をしました

当日の朝はその準備にばったばたで
あまりの計画性のなさに(ま、いつもですが)
「ここの計画性のなさにはまだ慣れませんね」と言うと
「計画性のなさはある意味エクアドル人の習慣だから変わらないわよ
反対にこの2年の間にかおりもエクアドル人化して、日本に帰った時には職場で首になっちゃうか  もしれてないね」って笑いながら言われましたよ

慣れるべきか否か・・・

そんなこんなで予定よりも1時間半遅れで出発した私たちでしたが
現地に着くとそこもエクアドル タイミングとしては丁度良かったぁ

私は自分が担当したエッグキャンドルを中心に販売しましたが
生徒達は当たり前のように店から散らばり
店番をしようとする気持ちがある子は数人
準備も先生方が中心だったので当然の結果と言えばそうかもしれませんね
一方、エッグキャンドルに対するお客さんの反応は期待していたよりも良く
おかげさまで順調に売れていきました
そうだっただけに生徒自身が「売りたい」という気持ちを持てるように
当日までの授業をうまく展開したかった・・・でも時間が足りなかった
と次回への課題はたくさん残りましたが
それも一つの収穫物
この思いを担任の先生と共有できればいいなぁと思っています
テントの前で集合写真
青年クラスのみんなです
エッグキャンドル
1個1ドル、3個で2ドル
大方売れましたよ!

私はこの日の午後からマンタへの旅が待っていたため
皆よりも一足早く切り上げ
後藤さんと一緒にマンタへと旅立ったのでした

ということで次回はマンタ号
お楽しみに^^

2010年12月3日金曜日

曇り空

配属先の職員構成は16人の女集団
つい先日男性のCarpinteria(大工仕事を教えてくれる先生)が一人入りましたが

何も知らなかった初めは
オバタリアン的な空気感が懐かしくて心地よかったのに
そのうち現状が見えてくると 段々と息苦しさを感じるようになってきました

人間関係のいざこざというのはどこの世界にもあることですが
言葉のわからぬ環境でのこの状況は息苦しさこの上ありません

連日会議と称する職員間の口げんかで
授業は投げ出され その間子供を見るのは私の役目
今日子供は何のために学校に来たの?って尋ねたくなる日が少なくありません
そして私は何のためにここに来たの?って思う日も

校長先生はこの状況をどうにかしようと
今日、心理テラピストを学校に呼びました
初めは私も参加していましたが
目をつむって色んなことを思い返すよう指示されると
ついつい眠ってしまいそうになったし
話の半分も理解できなかったので
「私は子供を見ています」と部屋から出ました

結局それから2時間半くらいそのテラピーとやらが続いて
その間ほったらかされていた子供たちは
終業のベルトとともに訳が分らぬまま帰って行きました

子供たちといる時何だか涙が出てきました
子供たちのために何かしたくて来たはずなのに
子供たちを支えるべき先生方を前に無力な自分がいる
無性に悲しくなりました
何も話したくなくなりました
正直投げやりな気持ちにもなりました
もう家に帰りたいって思いました

子供たちが帰った後 黙々と明日の準備をしました
心の中がどんより曇った一日でした


明日は国際障がい者DAY(?適当に訳してみました)
本校の青年クラスも町で販売活動をします☆

今日は生徒とやりたかった準備がたくさんあったのに・・・悔し

2010年12月2日木曜日

働き者のリリさん

昨日教材作りのため一人居残りしたので
帰り際「そろそろ帰りますよー」って用務員のドーニャン・リリさんに声をかけると
これから翌日に向けたパン作りをするというので
仲間に入れてもうことになりました

前回いただいたリリさんお手製のパンがとってもおいしくて
教わりたかったんです

二人で色々な話をしながら約3時間
子供と職員130人分のパンをせっせせっせとこしらえました

パン作りだけでも重労働
リリさんは毎日みんなが帰った後
翌日の食事の準備、教室やトイレの掃除・・・
毎日帰るのは5時を過ぎると言っていました
そしてみんながいる午前中だって誰よりも忙しく
いろんな仕事を目が回る勢いでこなしています

そんなリリさんに思い切って月々のお給料を聞いてみると
・・・腹が立つほど少なかったのです
先生方の5倍は確実に働いているリリさん
先生方の3分の一から4分の一ほどの給料しかもらっていないのです
しかも昨年までは今よりも25%少なかったそうです

小さな子供を4人も抱え
誰よりも早く学校に来て
誰よりも遅くまで働いているりりさん
それなのに誰よりも少ない月給なんです

この不平等さに無性に腹が立ちました
一層周囲の先生方が怠け者に見えてなりません

せめて各教室とトイレの掃除は担任と生徒に任せて
りりさんの仕事の負担を減らすことを校長先生に提案します!
これはりりさんの仕事の負担を減らす目的だけでなく
生徒たちが学ぶべき生活習慣ですよね
これまでも先生方に掃除の習慣付けを何度か提案してきたものの
「義務」とか「責任」とまでは意識が及ばず
やったりやらなかったりなんですもん
リリさんがやらないことになれば今よりも責任感を感じるはず・・・
よっし!明日校長先生に言うぞ~

って昨日も思ったんだけど
朝から先生同士の喧嘩続きで
校長先生の表情も疲れきっているのです
それで今日は言うタイミングをなかなか見つけられませんでした

喧嘩しに学校に来ているような本校の先生たち
授業もせずに喧嘩ばっかりしてお給料もらってるんだもん
リリさんは先生方のことどう思ってるんだろ・・・

こちらが働き者のリリさんです
二人で130個以上作りました
表面が硬くて私好みに仕上がりました
今日、みんなおいしいと言って食べてくれました☆